我が家の冬の日曜日は鍋、と決まっている。
今年ハマっていたのがキムチ鍋。
たっぷりのもやしとニラ、水菜に豚肉・餃子、で心も体もポッカポカである。
その日のキムチ鍋の〆のラーメンの時だった。
炊き上がってそれぞれが自分の器にラーメンを取っているのに、息子だけが動かない。
「どうしたん?いらないの?」と聞くと、何と、「いや、オレ、やって貰う派。」とのたまうではないか!
前にも書いたが、息子は高校生である。
未成年ではあるが、最近めっきり色気づき、体格的にもすっかりオトナである。
それなのに…
これは実は、今に始まった事ではない。
息子は初めての子で、生まれた時は回りの環境も大人だらけで、文字通り、蝶よ花よと可愛がられて育ってきた。
何も望まなくても、やれ誕生日だ、クリスマスだ、と言うと、親以外にも両方の祖父母から叔父、叔母に至るまで、これでもかと、物を買い与えられて来た。
着る物でも、食べ物でも、全て目の前に用意され、ハイ、手を洗いなさい、ハイ、着替えなさい、と言う調子できてしまったのだ。
息子が幼稚園の頃、ある人から、こんな言葉を聞かされ、私は目覚めた。
「男の子は鉛筆1本でも自分で選ばせなきゃダメ。何でも親に与えられてる子は、初めて選ぶのが“女”って事になり、とんでもないのを連れて来るわよ!」
その日から私は鬼と化し、全て息子に自分でさせるようにした。
そりゃあ最初はイライラしましたよ。
何にもできない。何もわからない。
「何でそんな事もできないの?」と怒りまくりの日々だったが、そのうち段々、人並みになってきたと思っていたのに…やはり三つ子の魂百までもと言う事か…
そう言えば、息子の友達がうちに集まって庭でバーベキューをしていた時、ふと見ると、誰も肉を網に乗せず、ボーっとしていて驚いた事がある。
きょうびの子は、息子に限らず、やって貰う派が多いと見た。
某料亭の謝罪会見なんぞは(一時ブームになったささやき女将ですね)その最たる見本だろう。
そしてここにも…
餌場の前に座り、餌がてんこ盛りに入っているにもかかわらず、私の方をジッと見つめ、「食べさせて」と訴えるヤツが1匹…
そう、ライアンは一度私が餌を手に取って口元に持っていってやって以来、すっかり“やって貰う派”に成り下がっていたのであった。

う~ん、うまいにゃ

やっぱ飯はこうやって食べるに限るにゃ
